同窓会便より 第4号 1967.11.1


 いちばん古い校舎

教頭 能村 登四郎    

 新装成った学園の東側に不調和なほど古い木造校舎がある。歩くとガタビシするし、雨の日は暗く、冬はすき間風でふるえ上るほど寒い。先生も生徒もいやがる校舎である。早晩壊されてしまう校舎であろうが。
 この校舎を愛している人たちがいる。それは卒業生諸君だ。卒業生は母校を訪ねてくると私は内心得意になって新しい校舎や寮やプールや図書館を案内する。
 ところが意外卒業生はあまりうれしそうな表情を示さない。ふしぎに思ってその訳を尋ねると「そりゃ母校がりっぱになって嬉しいが、ボクらにとってはあの木造校舎がいちばんなつかしい。あの校舎がなくなってしまうともうボクたちの思い出のよすがは何もなくなってしまうんです。先生あれだけは壊さないで下さい。」という。あの校舎の中央部は創立からの校舎である。あの校舎で学んだ人たちは図書館もプールも勿論ない不自由だらけの中で勉強した人たちである。だからこの校舎で勉強した人たちにとっては今のりっぱな学園は別世界のよそよそしさがあるのであろうか。あの不自由な生活の中に厳として存在しているものは校長―職員―生徒の一体となった黙契の精神である。卒業生諸君が母校にもとめているものは「もの」ではなく「こころ」の結成であろう。
 茫々30年の歳月をかえりみて、今いちばん大切なものは何かという問題を私は真剣に考えている。


昭和42年当時の学校全体


 新講堂の設備

 前回の同窓会だよりでお知らせしたように今月末には新図書館は竣工されます。内部の整備の都合で落成式は11月8日、創立30周年記念の式典の日に行なうことになりました。
 会員諸兄には、ぜひこの式典に参列して、日本一の学校図書館をごらん下さい。
 寄附もおかげをもちまして120万円以上も集まりました。これで、この図書館4階にある講堂の音響設備、ステージ幕、スクリーン、暗幕、などを備えていただくことになりました。現在は写真のようにガランとしておりますが、このたよりが諸兄のお手許にとどく頃は、赤と微黄色の椅子が300づつ並び、舞台にはステージ幕や袖幕などがつき、グランドピアノも置かれ、迫力ある音の聞かれる立派な講堂となりましょう。定員は通常600名ですが補助椅子を入れれば750人程収容できます。
 これら、講堂内の設備に要する費用は約240万円程です。図書館全体が建築費1億1000万円で、計1億4000万円ですから、その1パーセントに相等します。私達同窓会員としては、この1パーセントを目標に寄附を集めていきたいと思っております。志ある方でもついおっくうになりがちですが、何分よろしくお願い致します。


 創立30周年記念式典

 11月8日(水)、午前10時より市川学園に於て、在校生全員および多数の来賓をむかえて、創立30周年記念式典を行ないます。同窓生の皆様も参列下さい。
 式典後、第一体育館に於て祝賀会が午前11時より行なわれます。この祝賀会には来賓を始め、父兄、旧職員、現職員も参加しますので、同窓生の皆様はこの機会に恩師との旧交をあたためて下さい。


 高19回生のこと

教諭  福永 耕二    

 山崎先生から今日突然、埋め草を書けと言われた。何を書くのかと訊くと、19回生の思い出を書けと言う。それならもっと適任者がいる筈なのに、何も僕を指名しなくてもいいのにと文句を言うとなんでも明日締切だから、偉くて忙しい人には頼めないという返事である。暇ではないが、偉くないことは確かなので、書けたら書いてみると返事した。
 19回生というのは、今春の卒業生である。僕は彼等と2年つき合った。高校の上級生となるとなかなか一筋縄でゆく者ばかりでなく、相当手こずった。これは旧高3担任の一致した感慨であろうかと思う。僕は以前、田舎の高校で生徒と喧嘩ばかりしていたような経験も持っているが、彼等はその反面、僕が転勤すると聞いて、自分達が騒ぐのが理由なら今後大人しくするからと詫びてくるほどの純朴さを持ち合わせていた。市川は都会だけに、生徒もなかなかドライで、それはそれでまたよいと思うが、人と人との関係はドライに割り切れるものとばかりは決まっていないことも確かだ。師弟の情とか、友情とか、そういうものを偶然のもの、一時的のものと考えている人に、真の人間関係というものは築けないのではないかと思うがどうであろうか。
 19回生については、手こずっただけに思い出が多い。そして、思い出というものは時間がたつと、嫌なもの、悲しいものは自然に消滅して、良い思いで、楽しい思い出だけが残るものであるらしい。それだけでなく、嫌な思い出や辛い思いでも、時がたち立場が変ってくると、またなつかしく思い出されることもあるようだ。そういう訳で、19回生の諸君が、いまはまだ新しい生活の中で忙しかったり、浪人中でその暇がなかったりしても、やがて、高校時代の友人、担任等をなつかしく思い出す日もあろうかと思う。そういう時に、また一堂に会して歓談し、君らの高校時代には充分に果たし得なかった真の人間的なつながりを求めたいものだと思うがどうであろうか。それまで、僕は君たちの思い出を醸成し、きっと美酒にまで高めておきたいと思っている。1年もたたぬうちに、思い出話もなかろうではないか。