同窓会便より 第3号 1967.7.31


 30周年を迎えて

学校長 古賀 米吉    

 わが学園は今年創立30周年を迎える。先ず学園の現状を略記すると、高校生1,797名、中学生794名、幼稚園(3園)児364名、英語学校生164名、合計3,119名。教職員等128名。総校地47,497平方メートル(14,393坪)、総建物14,196平方メートル(4,298坪)となる。30年前、倉庫(現存)で入学考査を行ない、生徒30数名を迎え、借地の一隅に建つ75坪のバラックで呱々の声をあげたことを思うと、感慨なきを得ない。
 創立の年昭和12年は、日支事変勃発の年である。続いて太平洋戦争となり、第2次世界大戦となり、敗戦となり占領となり、そして今日に至っている。この30年は、国史上空前の激動期であった。この激動の中に、ほのかな私学の灯火を護り続けることができたことを思うと、今更ながら神仏の恵みに拝謝すると共に、有縁無縁の人々の好意と協力に感謝しないではいられない。
 30周年の記念事業として、物的には新図書館の建設、心的には教育の充実を企画した。図書館は鉄筋コンクリート4階建、2,458平方メートル(745坪)暖冷房等諸設備、新図書の購入等、当初に1億3000万円を要するもので、高校程度のものとしては、全国有数のものであろう。心の記念事業としての教育の充実は、5年毎の周年に繰り返しているものである。本学園の教育は、創立第1日から植え付けられたもので、人みなを独自無双のものとする人間観に立って、各人の可能性を無限に開発せんことを目標とし、そのことを自立的にやらせようと仕向けることを方針とする教育観を基底とするものである。これを以て、人間作りの究極とし、能率増進の奥義とする。問う人あれば、人間主義と答え、能率主義と答えたい。
 今や卒業生9300名に達し、東京周辺を中心として全国的に、あらゆる分野で眼醒ましい活動を展開している。国家社会に対する学園の功績を、私は敢えて誇る。同窓生諸君は、互に手を握り相扶けて邁進されたい。われわれ諸君の母校を護る教職員一同は、心を一にし力を合わせて、この私学不況の荒浪を乗り切る覚悟である。およそ私立学校は権力によらず、ひたすらに教育の自由をもとめて独立独行するもの、力とたのむもの一に教職員生徒、二に生徒の保護者、三に卒業生諸君。この三つの柱をもって私学は支えられるもの。切に諸君のご協力を頂きたい。
 11月8日には記念式典を催し、一般関係者と共に、同窓生諸君をご案内申し上ぐるつもりである。奮ってご参会くださるようお願いする次第である。


昭和42年、建築中の図書館


 母校創立30周年に際して

同窓会会長 山本 幸雄(1回卒)    

 早いもので、5年前、創立25周年を機に、小生市川学園同窓会会長の重責を負うことになりましたが、この間、心に本会の発展運営を思うばかりで、なかなか思うようには活躍することが出来ず、心苦しく思って居ります。名誉会長古賀先生のご指導、ご鞭撻を頂き、また、参事諸兄[市川学園教職員の同窓会係―現在は渡辺氏(1回卒)富沢氏(4回卒)他7名]の計画・運営等になみなみならぬご協力を意て、今日まで大過なく会長の大任を勤めることが出来ましたことは、誠に感謝にたえません。
 母校市川学園は本年度に創立30周年を迎えました。創立当初、入学生約30名が現在では生徒数約2,600名、同窓生約9,280名、教育施設は完備し、八幡および北方に3つの校地を有し、県下有数の学校として世間の注目を集め、古賀先生のニューくな教育は着々実現されつつあります。私は母校を訪ねるたびに、何か新しい力を感じます。又、新しい施設を目にします。敬和寮。水泳プール。2階建体育館。庭園の樹木。庭石等はその例であります。最近では境川寄りに新図書館が建築中であります。
 創立30周年を記念して、今秋には学校法人、後援会、同窓会合同による記念式典が行なわれる予定であります。
 記念事業としては、学園は新図書館建築、第3校地運動場新設。後援会は古賀先生の胸像建立。同窓会は会員名簿の発行及び同窓会員の寄附による新図書館内講堂の舞台及び音響等の諸施設が計画されて居ります。
 今秋まで極めて短期間であり、右の計画を実現しますには相当の困難が予想されますが、「同窓会便り」に記載の名簿発行の資料となる返信用葉書の件、今回より初めて行なう名簿に掲載の広告募集の件、また、折り込みの趣意書による寄付金の件に付きまして、同窓会会員諸兄のご協力をお願い致します。