同窓会便より 第1号 1962(昭37).8.21


創立25周年

学校長・会長  古賀 米吉    

 昭和12年、市川中学校として呱々の声をあげてから、新学制によって、市川高等学校となり市川中学を併設し、連々ここに25年の歳月を重ね、今秋11月11日、学園創設25周年の記念式典を挙ぐる運びとなりました。
 30幾名の生徒と、数名の教師と、75坪で発足した学園が、今日では、生徒2500名、教師80余名、校舎3500坪、卒業生を出すこと5000、この外に2つの幼稚園と1つの英語学校を持つ一大学園となりました。形体の巨大そのものは、一向に誇るに足るものではありませんけれど、形体だけでも10億の資を要するものであり、5000の人材は100億の資を以ってしても、これを出すこと不可能なことでありまして、わが学園が、あえてこれを成し得たことは、先ずもって同慶の至りであります。
 およそ公学一辺倒のわが国文教政策の中にあって、私学の経営は至難中の至難であります。わが学園が今日の隆盛を見るに至ったについては、創立当初から次々に立派な教職員を得、而もこれが無敵の団結をして来たこと、地域社会の文化が高くて、私学のよさや学園のあり方への認識が強く、優秀なる師弟を続々送り込まれたこと、必然の結果として、卒業生が漸次社会の信用をかち得たこと等にとるものと思われます。
 蓋し私学に於ける同窓会は、学園の教育力の結実であり、学園のPRであり、そして又やがて、学園経営の有力なる主体ともなって行くべきものでありましょう。私は卒業生が年少の間だけということで、その会長を引き受けて今日に至りました。今や初期の卒業生は、齢不惑に近く、年令により経験に応じ、いずれもそれぞれに社会で活躍しておいでであります。先般来よりより議を進め、この際私は快調の席を退き、卒業生の中からこれを選び、本然の姿を得てこれが強化発展を期せられるよう取計らってもらうことにいたしました。どうぞ新組識の下に、一致団結して、相互の親睦向上を計るとともに、母校の進歩発展に寄与せらるよう希望します。
 私すでに齢古希に達し、とみに体力の衰えを覚ゆるに至りました。この際渾身の勇をふるって、老廃寸前の校舎を改築し、一方愈々益々学園の教育の充実し、後継する人々の重荷を、少しでも軽くしておくようにと、努力精進しております。卒業生諸君、どうぞ、同窓会として将又は一人の卒業生として、私のこの悲願成就に、陰に陽に直接に間接に、力になって下さるよう願ってやみません。


学校長 藍綬褒章受章

 風薫る5月、古賀先生は多年にわたる教育に対する功績をたたえられ、藍綬褒章を授与された。待望の本館、新館も落成し、創立25周年を迎えるにあたり、この受章は母校にとって二重、三重の喜びになった。
 先生は「この名誉は私一人のものではない。学校教育はチームワークあってのものだから、教職員、卒業生、生徒、父兄の方々と共に分かちあって、喜んでいただきたい」という意味の感情をのべられている。


母校の職員

 ここ2年間に退任された教職員は14名、新任は32名(何れも専任)ですが、卒業生諸兄が来校されても昔馴染みの先生方が大勢健在ですので、気軽にお出掛け下さい。
○安田裕 副校長先生
 県立千葉高で長年校長をなさっておられた安田先生は今年から副校長として就任され、古賀校長のよき相談相手として母校発展のため尽力されています。
 次に10年以上本校に勤務されて退任された方々の近況をお知らせします。
○永瀬武 先生
 私は去る3月専任の職を解いて頂き、4月から週2回の講師として出校させて頂くことになりました。私の教師生活の第1歩が市川学園で、途中病気や兵役のこともありましたが、とにかく21年後の今、母校のようななつかしい気持で市川学園に一応さようならの言えますことが、私の唯一の慰めであり誇りであると思っています。これからも元気でやりましょう。(市川高校新聞より)
 先生は現在東京タワーの下にある日本語学校の副校長として、外人に日本語を教えていらっしゃいます。
○井上(篠原)育子さん
 昭和26年以来、図書館で生徒諸君によきお姉さんぶりを発揮してきましたが、結婚され、昨年7月退任し横浜に転居されました。


面目を一新した母校の校舎

 下の航空写真を見ると、これがあの市川学園かと驚きになるでしょう。 この2年間に母校の建物は全く一新しました。本館は運動場の北側に移築され、旧理科室は取り壊され、その跡に堂々たる鉄筋コンクリートの本館及び物理、化学、生物の3教室を含む新館、それにホール、食堂が新築されました。
 以下これらにつき学園新聞から抜粋してみます。 「本館は全長90米高さ12米という細長い建物であるが、その両端にピロティを置くことにより、生徒の昇降口や憩いの場としての機能を十分に果たしながら90米の直線の美しさを遺憾なく発揮している。
 1階は全て管理室(校長室・事務室・職員室・会議室・応接室・使丁室等)になっているが、これだけのスペースをとった学校は他に数が少ないと思う。しかも部屋毎に壁の色を変えるなど工夫してある。
 色彩はかなり注意したつもりである。建物が周囲から浮き出すようにせず、この美しい自然環境に調和して、しかも学問をするところにふさわしい落着いた配色が望ましく、オールドアイボリーを基調色として、横に2本の褐色のやや強い線を入れて全体を引しめた。そして雨に濡れた時は渋みをまし、数年経って、くすんできてもその古さを特に感じさせぬよう考慮した。
 普通教室は本館20室新館24室、壁は暖かい灰色で多少の汚れも目立たず、黒板はダークグリーンで、落着いた感じを与える。窓は広く明るい、鉄のサッシュで容易に開き、厳密に閉じられる。
 食堂・購買部・ホールを含む東館は新館・移築本館を結ぶ重要なメインストリートであり、学校建築全体のアクセントでもある。2階の食堂は150人楽に収容できる広さを持ち、調理室もついている。
 これらの大きな特色は、全職員が平面図を前により機能的に、より美しく、より便利にと何回となく会議を開き、一人一人の知識を凝縮して作られた結晶であるといえよう。
 この他綜合グラウンドや前面道路、中庭の整備はこの8月中の仕事ですが、総会にはきっと間に合うと思います。卒業生諸兄是非出席下さって母校の発展を目のあたり御覧下さい。
 1960.9 木造本館移築(1650平方メートル;50坪)
 1961.6 鉄筋3階建本館竣工(3320平方メートル;1006坪)
 1961.12 鉄筋2階建ホール・食堂竣工(600平方メートル;180坪)
 1962.3 鉄筋3階建新館・ブリッジ竣工(2750平方メートル;730坪)


昭和36年頃の本館


【37年度卒業生】

就職状況
 日本信託銀行、市川信用金庫、野田醤油、鋼管亜鉛、理研光学、日本鋼線、大成電機、東京電力、復興電気、朝日無線、西谷産業、日本交通公社、電々公社、国鉄、消防庁、千葉県庁、日本交通、大和運輸、千葉マツダ、品川ダイハツ、帝都高速度交通、国際貿易、三越、浜野繊維、トキコ油脂、岡村KK、岡本ゴム、双葉美術印刷、森利商店、武蔵商会、千歳商会、木下商店、鯨岡大型袋、三和商工、文友社用紙店、横河橋梁、サトダ商店、宝酒造、日本ビール、森永乳業 等
進学状況
 東京大学(理二)、東工大、東京教育大(理)、東京学芸大、東京農工大、新潟大、千葉大(文理、園芸)、山梨大、東京都立大(工)、神戸商大、千葉商大、千葉工大、学習院大(政経)、慶応(文、経、法、商、工)、早大(政経、文、法、商教、理工)、中大(経、文、法、商、工)、日大(経、文、法、商、農、芸、理工、歯、文理)、法大(経、法、経営、社会、工)、明大(政経、文、法、経営、商、工)、立大(経、法)、東海大、青山学院大(経、法)、国学院(政経)、駒沢大(商経)、上智大(経、文、法、外、工)、成蹊大(政経)。