■田中一郎さん(高6・中4)が写真展と写真集出版

【写真展のご案内】

 田中一郎氏(高6・中4)の「写真展 みちのくの詩」が、仙台市の富士フォトサロン(仙台第一生命タワービル1階)で2007年10月12日〜10月17日に開かれます。
 尚、東京での写真展は、六本木ミッドタウンウエストの富士フォトサロンで2007年9月28日〜10月4日に開催され、好評のうちに終了しました。(2007/10/10)

【写真集のご案内】
 田中一郎氏撮影
  『みちのくの詩』 光村推古書院 2007年8月発行
  『遠野夢山河』  光村推古書院 2003年発行

 光村推古書院は京都(075-493-8244)にあり写真集を多く出版している。なお、上記2冊は母校図書館に寄贈され、卒業生・職員著作コーナにある。

 私と田中さんとは小・中・高校と同級生。高校時代は“よろずや”といわれ、何でもこなす多彩人であった。
 医学部に進学、卒業後は岩手県立遠野病院に1964〜'66の2年間勤務。その後しばらくして相模原市で耳鼻咽喉科医院を開設、現在に至る。ご子息は市川高校に入学、途中一人暮らしをしたが、1日も休まずに卒業した。
 彼は、“万屋”ではあるが、いつのころからか凝る傾向が出てきた。ジャズに凝った時代がある。ただ、凝るのでなく、一流の先生に付き学ぶので自己満足型ではない。そのとき出したレコード(LP)がある。市川学園図書館に寄付を願ったので現在もある。その何曲かを、お昼の放送の時間に全校に流した。
 その後は写真に移ったようである。あとは、写真一筋。1997年「湘北の四季」と題する写真展をミノルタコミュニティスペースで開催した。1999年「夢山河遠野」写真展、同展は2000年の第8回「前田真三賞」にノミネートされる評価を受ける。2003年、写真集『遠野夢山河』(光村推古書院)を出版、同名写真展を銀座の富士フォトサロンで開催。
 興味は遠野から岩手県全域に移り、精力的に県内を撮影して歩く。彼は、いまだにアナログ人で、メールやデジカメはだめとのこと。写真撮影は、すべてフィルム。前作、および『みちのくの詩』は、色彩、構図はすばらしい。風景の撮影は気象と太陽を捉え、構図は自己の感性とそれらにマッチした場所を探すかにかかってくる。おそらく、彼は撮影のときは、猿人の時代から受け継がれた、狩猟本能をむき出しに獲物を求め、歩きまわり、待ち伏せをし、シャッターを押す。こうしなければ、このような写真(獲物)は撮れない。                         (高6・中4 山崎秀雄 記)


■竹内一将さん(高53回)が東大総長賞を受賞

 竹内一将さん(高53回)がこの度修士課程の研究業績を評され、在籍している東京大学から「東京大学総長賞」、および「東京大学理学系研究科研究激励賞」を受賞されました。
 ご本人からこの研究成果の基盤になっている素晴らしい市川中学・高校時代を過ごすことが出来たこと、またご指導をいただいた先生方のおかげであったことに対して、今回の受賞報告とともに感謝のメールが届きました。
 この快挙に同窓生として心からお祝いの言葉を送りたいと思います。(2007/03/23)

<竹内さんの研究テーマ>
  非平衡系におけるDirected Percolation転移普遍性の実在証明
 竹内氏は非平衡系における相転移現象の重要性を研究当初から認識し、手法に捉われない多角的なアプローチによって実験・理論の双方において業績を挙げてきた。
 中でも特筆すべきはDirected Percolation(DP)転移普遍性の実在証明である。入ったら出られない状態への転移はDP転移と呼ばれ、理論の上では物理・化学・生物のあらゆる分野で普遍的な挙動が見られるが、十分な実験的証拠は存在しなかった。
 同氏は液晶の乱流間転移に着目し、従来謎であった履歴現象がDP転移に起因することを看破し、高精度実験によってDP普遍性がそこに実在することを示した。これは約20年間懸案であった問題に決着をつける快挙であり、重要な学術成果である。


■『アメリカ日本食ウォーズ』の著者、池澤さんから“礼状メール”
 『アメリカ日本食ウォーズ』の著者より下記のメールが、事務局に届きました。
                 記
 拙著「アメリカ日本食ウォーズ」の紹介が母校のホームページに掲載され、まことに光栄に存じます。心より御礼申し上げます。在米が長いため、母校に立ち寄る機会がないまま数十年が経過しましたが、市川学園で学んだ6年は私の心のルーツです。
 先生方、在校生、卒業生の益々のご発展とご健勝を祈念します。
                             米国ロサンゼルス在住  池澤康
 また、先日トッピクスでご紹介した池澤 康著「アメリカ日本食ウオーズ」に対するメールが下記のとおりありました。
                 記
 池澤 康君の著書「アメリカ日本食ウワーズ」を船橋市図書館で購入していただきました。
 ビックリするような内容もあり、日本食がアメリカでどのように変わって浸透しているかが良くわかります。
 大変参考になります、皆様に是非推薦したい著書です。
                              高六回卒業生  佐藤啓介
 なお、市川学園第3教育センター(図書館)でも近々購入予定ですので、是非同窓生の第3教育センター(図書館)のご利用をおすすめ致します。  (事務局)
堂本卓絃さんからのお知らせ(2005年12月14日)

 高校14回の堂本卓絃さんから電話とお手紙で紹介を頂いた野沢温泉のペンションを紹介します。

 長野県野沢温泉 ペンション タンネンホッフの紹介
 堂本さんの実姉ご夫妻が経営する野沢菜で有名な長野県野沢温泉にあるペンション「タンネンホッフ」から、市川学園同窓会の皆さんに特別優待サービスつきの案内を頂いております。
 ペンション タンネンホッフ  長野県下高井郡野沢温泉村日影スキー場
   
http://www.janis.or.jp/users/tannen/
   電話:0269−85−3158(代表)
   FAX:0269−85−3958
 予約時に「市川学園同窓会」と伝えていただければ
  1. 宿泊費を10%割引いたします
  2. 季節によって楽しい昼食をお出しいたします。野外で召し上がる場合はお弁当をおつくりします
  3. 平日2泊目から500円引き、さらに自家製お土産をさしあげます
  (年末年始、お盆休み、連休時以外に限ります。)
 興味のある方はホームページをご覧ください。


齋藤 勇一郎さんから(2005年8月30日受信)

 本日、ホームページを拝見させていただき、新校舎の設備の凄さにびっくりいたしました。あの当時も図書館の蔵書の凄さはひそかに自慢に種でしたが。女学生が入ると変わるのでしょうか。
 化学の青木先生の実験授業(アニリンの合成など夏休みに毎日実験)が懐かしく思い出されます。人間の体は酸には強いがアルカリには弱いから十分に注意しろ!とか、ナトリウムの炎色反応の色は味噌汁が吹きこぼれたときの色だ!(オレンジ←塩Nacl)など、実に身の回りの物に例えるのがお上手で、覚えようとしなくても頭に入っていったのを思い出します。
 府川先生はいつも愛妻弁当を抱え込むようにして召し上がられていたのを思い出します。きみたちはね。。。。。なつかしい口調です。
 急に懐かしくなってだらだらと書いてしまいました。すみません。現在、麻酔科の医者をやっています。興味がある学生にはお話などさせていただければ幸いです。もし希望者がおられるならの話しですが。よろしくお願いいたします。


渡邉 修さんから(2005年4月9日受信)

 私が卒業したころはまだホームページというものは広まっていなかったですが、ふと検索してみると市川学園も立派なホームページができあがっていたのですね。
 2年生の時の担任である石井先生がなくなられたというのは非常に悲しいことですが、浅田先生が校長先生になられたとのこと、 学園のますますの発展を期待しております。1年担任花嶋先生、3年担任府川先生、そして生徒会の会計をしていたときにお世話になった楢橋先生、各先生方のことが思い出されます。
 このホームページを拝見し、昔を懐かしく思うとともにとても勇気付けられました。ありがとうございました。


村田 幸二さんから(2005年1月22日受信)

 子供が今年市川中学を受験したので、たまたまインターネットを見ていたら「同窓会」の欄を見つけました。
 もし同窓会の行事とか有れば教えてください。


三橋和己さんから(2005年1月19日受信)

 いつも学園の近況をお知らせいただき有難うございます。
 最近、あの頃の仲間は何をしているかなと思う年頃になり、懐かしくなりました。
 学園も新校舎が完成し、21世紀を見据える教育にと変化を遂げつつ発展していることは喜ばしいく思っております。


森川裕さんから(2005年1月19日受信)

 もう卒業して22年。子供達と市川動植物園に行く時に旧校舎の前を車で通ります。とても懐かしく思います。
 理科の石井先生、お亡くなりになっていたのですね。昔何度かお年賀を頂いておりましたが残念です。先日読売新聞で記事を読みました。
 事務局の皆様のご健勝をお祈りします。宜しくお願い致します。


熊倉浩修さんから(2005年1月18日受信)

 今度5年生になる長女の進学の件があり、ホームページを拝見させていただきました。
 私が通っていたころが想像できないほど、校舎がきれいになっていたのと、私が5年生のときに担任をされていた浅田先生が学校長をされており、びっくりいたしました。その頃、休校になるような洪水があり、私が住んでいた家も床上60cmまで水が来たことがありました。その時、浅田先生がクラスメイトに声をかけていただき、寄付金とみんなの寄せ書きをいただいきました。昔と変わらないお顔を拝見し、そのことを思い出しました。


藤村琢男さんから(2005年1月16日受信)

昭和58年高校卒の藤村琢男です。
すっかりご無沙汰しております。
高校の同級生から同窓会のHPがあるとききHPの方拝見しました。
住所不明者が30%もいると記載されており、私もそのひとりではありますが、早速現在の住所をご連絡致します。


小野達也さんから(2004年11月4日受信)

前略 ごぶさたしております。母校のことは忘れたことはございません。卒業後多忙を極め、今まで失礼しました。ひょんなことからこのホームページにたどり着きました。住所変更などお知らせします。
 私は昭和56年(だと思います。根岸先生が高3担任・国立文系クラス)卒業の小野 達也(おのたつや)と申します。卒業後・国士舘大学文学部文学科に入学・中国文学を専攻し、大学山岳部の主将として活躍、卒業後は、大宮市立片柳中学校、宮前中学校、東京都江東区立深川第六・第七中学校などを時間講師として働きながら、教職を志し、平成一年に千葉県市川市立福栄中学校に国語科教師として採用され、その後、市川市立東国分中学校を経て、現在、市川市立第七中学校(047-357-3183)に勤務しております。


河合正文さんから(2004年10月30日受信)

 私の家内が、セントラルスポーツ株式会社 後藤 忠治(代表取締役社長)様の秘書を務めさせていただいております。
 家内が昨日の公演で浅田校長先生より、名刺を頂き、また新校舎落成記念のCDも拝見させていただきました。大変懐かしい写真がいっぱいで感動いたしました。
 また「なずな」よりホームページ作成の協力を拝見いたしました。PCに関してある程度の知識はありますので、協力できる事がございましたら一報ください。

 お便りコーナーとして掲載します。皆様のメールをお待ちしております。     事務局